障害年金と憲法25条

障害年金(国民年金・厚生年金)は憲法25条2項を受けて規定されたといわれる。では憲法がどのような役割を担っているのであろうか。

1 憲法25条は社会権の総則的規定といわれる。これは資本主義社会では競争社会の中で生じる社会的弱者を貧困から救済する必要が生まれる。そこで1項は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、2項では「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定めている。

そして1項と2項の関係については両者を一体的にとらえて1項は生存権の目的を、2項はその達成のための国の責務を定めたものと考える。すなわち1項は国民の主観的権利としての生存権を定めておりその中には最低限度の保障とより快適な生活の保障を求める権利が含まれると考える。

2 では25条2項は障害年金の保証を義務付けるのであろうか。

ここで25条は国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するというものである。しかも「健康的で文化的な生活」なるものは、きわめて抽象的相対的な概念であり、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断されるべきものであるとともに25条を現実の立法として専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。したがって、25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱乱用と見ざるを得ないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。

とすると障害年金は障害を負い労働能力が失われた場合の生活保障であることからすれば最低限度の生活を営む権利の保障と解することもできる。しかし何ら所得要件をつけていないことから裕福なものまで生活保障することは資本主義の自助努力の原則から許されないと考える。もっとも障害年金(国民年金・厚生年金)は加入を強制される保険であることからすれば、保険料を払いその見返りとして保障される点で立法府の裁量を逸脱乱用したとまでは言えないであろう。したがって障害年金の保証を義務付けられるとまでは言えないと考える。

3 憲法25条は最後の生活保障である生活保護は保障を義務付けるとしてもそれ以前の段階でいかなる政策をとるかは立法裁量の範囲と考える。